もちだ理数塾

数学、物理、化学の個人塾
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餅田 渓 プロフィール

東京工業大学附属科学技術高校、
東京工業大学 工学部 電気電子工学科 卒業。在学中に塾講師、家庭教師を経験。
東京工業大学 大学院 電気電子工学専攻 修了 (修士)。
電気機器メーカーで新技術の開発、テレビ中継用デジタル信号処理装置の設計(VHDL)、出荷検査工程の改善を担当。

 何かできるようになるということは大変なことだと思います。色々やってきた中で共通することは少しずつでも良くしながら繰り返すことと続けることです。技術が進み生活は便利になった一方、勉強には努力が必要です。それを教えつつ、生徒には自分の努力でできるようになってもらい、希望する道に進めるように役立ててほしいと思いこの塾を始めました。

私の原点 (小学生の頃)

十一円電池

 4年生の頃、電気に興味を持ちました。きっかけは教科書だったか、電気についての漫画に「コイルに磁石を近づけたり遠ざけたりすると電圧が発生する」とか「銅とアルミの間に食塩水を浸した綿を挟むと電圧が発生する」と書かれていたことです。

 電線と磁石?銅とアルミ(十円玉と一円玉)と食塩水?そんな物で電気ができるのか?やってみましたが、豆電球は光りませんでした。なんだ、やっぱり嘘じゃないか!と思っていたら、父がデジタルテスタ(電圧計)を買ってくれました。これを使うと微弱ながら確かに電圧が発生していることが分かりました。これには強く感動しました。

 当時は発光ダイオードが広く使われ始めた頃でした。小さい電力で光るというので銅とアルミの電池で光るのではないかと思いました。秋葉原に行って電子部品店をまわり、発光ダイオードを入手しました。

 銅とアルミ(十円玉と一円玉)の間に挟む液体をいろいろ試したのですが光りませんでした。学校の授業中にどの液体を試すか考え (コラッ!)、家に帰ったらとにかく試しました。そして、祖母が作った梅のジュースを使ったところ発光ダイオードがかすかに光りました。部屋を暗くすると光っているのがはっきり分かりました。

など、いろいろ疑問が湧いてきて都度調べました。このような感じで何十テーマか探究したと思います。

 そこから派生して電気、コンピュータ、機械、写真、天文、音楽に興味を持つようになりました。どれも数学、理科がからんでいるからだと思います。

私の原点 (中学生の頃)

勉強

 小学生のうちは算数のテストで毎回9割〜満点を取っていましたが中1の1学期、中間、期末ともに6割しか取れませんでした。(高2の1学期まで塾には通いませんでした。)今思えば「なぜそうなるのか」を考えていませんでした。教科書を眺めただけで、分かった気になっていました。手を動かしていませんでした。

 学校の数学の先生がとても熱心で「希望者には夏休みに一対一で特訓をする」とおっしゃいましたので特訓をお願いしました。簡単そうで教科書の内容だけでは解けない問題に取り組みました。当然、当時の私はどう考えれば良いか見当がつかずに手が止まることが多くありました。

 先生はヒントを出しましたが一方的に説明はせず、隣でお仕事をなさっていました。私が答を出すのを待っているようでした。その時はできるようになった感覚はなく、考えることは辛いと感じたと同時に、ああいう感じにやるんだと分かりました。

 中1の2学期からは定期テストで8割以上を取れるようになりました。問題を理解して正確に解くには考えるべきことが数多くあり、点を取れなかった時は考えが足りなかったのだと思います。

 中2のとき学校の図書館で「道具と機械の本」という、10年くらいの間だれも借りた記録がない本を見つけました。身近な道具や機械の仕組みが色々書かれていて1年くらいの間、返すと同時にまた借りて、ほぼ毎日読んでいました。他にもプログラミングや電子工作などの本も見つけ、素因数分解をしたり平方根を求めるプログラムやセンサーを使った回路などを作りました。

 中3の夏休みから本格的に受験勉強を始めました。(高2の1学期まで塾には通いませんでした。)父が「自分で問題集を買って解きなさい」と言って3千円をくれました。私は内容が濃そうな小さい問題集を買いました。楽に上達できそうだと思ったのですがこれは実は手強い問題ばかりを集めた問題集で、全く解けませんでした。

 それでもこれを解けなければ志望校には合格できないと思い、何とかしようと考えました。閃きに頼らず、でも答えに行き着く方法を模索しました。

 ある時から頭だけでなく道具を使ったらどうかと思い、図や数式によって考える方法を編み出しました。頭だけでは理解できずどうしようもなかった問題を解けるようになりました。この時に得た、解法の暗記ではなく分かることを一つ一つ積み上げて答を出すという考え方は私の基礎であり、この塾の基礎です。

ラジオの設計、製作

 中3のときラジオの本を買って回路を勉強し、中波AMラジオを作りました。同調回路、トランジスタによる増幅回路、検波回路について勉強して設計、製作しました。

 失敗すると貴重なお年玉が無駄になるので何回も検算しました。部品の配置、配線図を何回も描き、回路をできるだけ小さくして性能を良くしました。実際に作るときは1本1本をよく確かめて配線しました。配線を終えた後に間違いを見つけることはかなり大変で嫌になります。直すことも大変で、一発で鳴るようにしたかったのです。ちゃんと鳴るかどうかは最後まで分からないので電源を入れる時は緊張しました。鳴ると嬉しいもので、寝る前や起きた時に聴いていました。

 根号(√)を含む式の計算などがあって数学の練習になりました。そして特に、回路の仕組みを理解して動作をイメージする、正確に計算して正確に作るということは勉強にかなり役立ったと思います。

 短波AMラジオを作ってみると何語か分かりませんし意味も分かりませんが色々な言葉が聴こえました。「モスクワからの日本語放送です。」という声も聴こえました。アンテナを工夫したり感度を良くしたりその局の放送だけが聴こえるように選択度を良くしたりと改良しながら、高校に入ってからも何台も作りました。

趣味

 今はもう趣味らしい趣味はありません。趣味をやろうかと思っても指導について考えたり、ホームページをいじったりしてしまいます。小6〜大学院生の頃は独学でピアノ、会社に勤めていた頃は紙飛行機を作って飛ばしていました。

独学でピアノ

 6年生のときテレビでピアノ演奏を見ました。ピアノ協奏曲風に編曲された「おもちゃのチャチャチャ変奏曲」でした。ピアノにこれほどの表現力があることに驚きました。同時に、弾けるようになりたいと思いました。ピアノは楽器ではあるけれど機械で、仕組みは分かるので習わなくても練習すればできるはずだと思いました。

 家には姉が弾いていたアップライトピアノや楽譜はありました。最初に選んだのは無謀にもモーツァルトのトルコ行進曲でした。音符と鍵盤の対応は一応分かりましたので楽譜に音名を書いて、音を一つずつ出すことから始めました。

 ピアノ演奏のテレビ番組があれば録画してピアニストの手元が映っているところをコマ送りで再生して、指の形をどうしているか、鍵盤のどのあたりを押しているか、手や指をどう移動させているかなどを何十回と観察しました。模範演奏を何十回と聴いたり、自分の演奏を録音しては直しました。

 半年くらい続けると止まらずに一応弾けるようになりました。これで次のことが分かりました。

 中1の初めにコンクールに出てみましたが、プロを目指す同年代の子の演奏に圧倒されました。私がそのレベルでできそうなことは数学、理科しかないと思い、好きでやっていた理科の探究をよりこだわってやるようになりました。

 その後、ピアノは中々上達できなくてやめ、ああすればいいのではないかとふと思って再開したことが何回かありましたが続けていました。大学院生だった時には、弾くことは不可能と思っていたベートーベンの「悲愴」「月光」が弾けるようになり楽しくなりました。学園祭で弾きました。

合唱コンクールのピアノ伴奏

 中2のとき合唱コンクールの伴奏をやらされました。当時はピアノにはそれほど力を入れていませんでしたし、私より上手い女子はいたのになぜか私になりました。最大限頑張りはしましたが曲の本来の速さで弾けなかったのでみんなは気持ちよく歌えなかっただろうと思いました。

 このままでは嫌だと思い、これからさらに練習して、また選ばれたら良い伴奏をしようと決めました。中3になるとクラスにはピアノが上手い女子が2人いましたが、彼女らが受験勉強のために伴奏を断れば機会はあると思いました。入試は合唱コンクールと近い日程でしたが、受験勉強を早く完成させてあとは伴奏に力を入れようと思いました。

 そして中3の冬、学級委員が熱心で、凝った難しい自由曲に決まりました(「海鳥の詩」より「北の海鳥」)。課題曲、自由曲の2曲とも私が弾くことになりました。こんなの弾けるのかと思いました。それでも今度こそは何としてもちゃんと弾くんだと決めて挑戦しました。あの時は特に力を入れた時期の一つです。

 12月の後半から2月まで70日間、2曲それぞれ1日20〜30回弾きました。当時としては大体満足できる出来になりました。力強い合唱になりました。今、録音を聴いてみるとよくやったと思うとともにもう少し直したいところはあります。

 中2のあの時やらされなければ大学院生のときに学園祭で弾くまでにはならなかったと思います。今ではあの時やって良かったと思います。

紙飛行機

 これはとても深いです。揚力を得て、安定に飛ぶ(姿勢を自動的に保つ)こと。紙飛行機の場合はさらに、無理と思える要求があります。飛行の始めに勢いよく打ち上げる時は揚力が生じないこと。(揚力が生じると上がらずに宙返りしてしまう。)高く上がり遅くなったところで機体がほぼ水平になって、ここから揚力が生じてゆっくり降りること。

 (迎角が一定のとき)速いほど揚力は大きくなります。ところが打ち上げる時(速い時)は揚力が生じず、滑空する時(遅い時)に揚力が生じるという一見無理な要求を満たさなければなりません。

 繰り返し飛ばしているとそれは無理ではないことは見えてきました。飛行の始めに地上から打ち上げる方式で、滑空に移ってから10秒間飛んだことはありました。極めた方が作ると高さ30mまで上がり、無風で30秒、風を捉えれば何分でも飛ぶのだそうです。

 普通紙(コピー用紙)で写真のような機体を作っていました。中は空洞です。理論的には紙飛行機のような小さい機体では厚みのある翼は損失が大きくて不向きなのだそうです。それでも旅客機を真似たくてこのように作っていました。