この塾で教えて分かったのは、カネというシステムの下ではきちんと教えると成立しないということです。
(もし目標も学力も同じくらいの生徒ばかり集められれば成立するでしょう。)
ご家庭にとっては高く、私にとっては十分ではない料金になってしまいます。
そこで株式などの売買を研究しています。もし成功すれば既に通っている方を含めて授業料を値下げしたいと考えています。株式などで安定して収益を得ることはかなりの難題ですが、もし実現すればもっと現実的な授業料で手厚い授業ができますし、授業のやり方ももっと自由にできます。
当塾は昔、教室があり、1対2、80分、1回5,000円程度で授業をしていました。一時、ほぼ満席(1日5人)になったことがありました。生徒が少なかったときと比べて1人にかける準備時間が減りましたし、私の慌ただしさが何となく生徒に伝わっていたと思います。上位校に合格する見込みのある数人には準備時間を長くかけていました。
その頃は最も儲かっていましたが長続きしませんでした。
この先は、50年後(これを書いたのは2025年10月)には変わっているかもしれないと思うことを書きます。
カネというシステムはもうやめたらどうかと思います。カネがなくなっても問題は尽きないでしょうが問題の質は余程平和的ではないでしょうか。
カネを偏りなく流通させることは元々不可能です。カネが増え続けるところと減り続けるところができます。国家間も含みます。
例えば総当たり戦で得失点差が全チームともプラスになることはあるでしょうか。
または、横断歩道に旗が用意されているところがありますが横断歩道の両側にある旗の本数はいつも同じでしょうか。誰かが旗の本数を調整するために旗を移動させなければどちらかの側には旗がなく、旗を使いたくても使えないことが起きます。
税金、保険、年金、国債、補助金といった仕組みや外交で平衡させようとするのはもはや不毛なように見えます。
仕事の価値を金額という1つの数で表すことに無理があります。位置や速度さえx,y,z成分の3つの数の組で表されます。
ある尺度で見たときに価値相応の値段が付かない仕事が少なからずあります。本当に値段を付けると誰も払えないのかもしれません。例えば家事や子育てに給与は出ないのでしょうか。
人のする仕事ではエネルギー保存則やキルヒホッフの電流則のような法則は必ずしも成り立ちませんので仕事を金額で表して保存則が成り立つかのように扱うことにも無理があります。
売り手がかけた労力と、買い手が受け取ったと感じる価値は常に等しいでしょうか。「買い手が支払う金額=売り手が受け取る金額」という構造は合理的でしょうか。
株価や為替レートなどは必ずしもその中身で決まるのではありません。投資家やトレーダーが利益を求めて出す買い注文と売り注文によって決まります。
経済成長といわれます。今後、毎年1%成長し続けるとすると100年後に約2.7倍、1000年後に約2万倍、2000年後に約4億倍、毎年2%とすれば2000年後に約10^{17}倍になります。そんなに何をしたいのでしょうか。それとも金額は大きくなってもカネの価値が下がるだけでしょうか。
経済成長に必要な土地や資源を確保するために地球人どうしで戦争をしたり、地球外生命体に戦争を仕掛けたりしなければいいのですが。
カネというシステムがなくなっても「目の前」にいる相手と「等量」を「同時」に「交換」するという4つを満たす必要はあるでしょうか。
「目の前」「等量」「同時」「交換」という条件下では助け合いの範囲がとても限られます。持っているものの違いや需要と供給のずれにより持つ者と持たざる者の差が拡大し対立が深刻になります。現時点で「目の前」「等量」「同時」「交換」という条件を越えるには最後は戦争を起こすしかありません。
誰かに何かをあげても、必ずしもその人から、等量を、その時にもらう必要はないのではないでしょうか。自分に必要な物は別の人から、別の機会にもらってもいいのです。
何かしてもらったからといって、必ずしもそれに相当するまで返す必要はありませんし、異なる形で別の人に返してもいいのではないでしょうか。(実際には等しいか、多いか、少ないかは判別できません。)
ただし「各自やるべきことをやる」「必要を超えて求めない」ことは条件です。これができるのが人間だと思います。
その点、植物の地下の世界はよくできています。必ずしも目の前にいる相手と、等量を、同時に交換していません。高い木に日光を遮られた低い木はなぜ育つのでしょうか。